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PROJECT STORY 01 JOY FIT 赤字店舗再生プロジェクト PROJECT STORY 01 JOY FIT 赤字店舗再生プロジェクト

アルバイトから社員へ。
初の仕事で赤字店舗を黒字に
逆転させた1年間の歩み。


どんな企業にも「垣根」は存在する。しかし、そんな垣根を超えて仕事をしようとする者もいる。それが室田洋佑という人物だ。グループ会社のウェルネスフロンティアにて「ジョイフィット新所沢」の再生プロジェクトを始め、赤ジョイの出店加速への貢献、名古屋エリアの新規開拓、ヨガスタジオ5店舗のM&Aなどの数々の仕事を経て、ヤマウチへとやってきた男の仕事への情熱を紐解いてみよう。

ジョイフィット・ヘルステック・カンパニー・ウェスト カンパニー長 室田 洋佑 YOSUKE MUROTA ジョイフィット・ヘルステック・カンパニー・ウェスト カンパニー長 室田 洋佑 YOSUKE MUROTA

「赤字店舗をたった1年で立て直す」
それが室田に課せられた
ミッションだった。

室田がアルバイトからウェルネスフロンティアの社員登用試験を受けたのは2010年秋。その数ヶ月後の2011年1月に「ジョイフィット新所沢の再生プロジェクト」にサブマネージャーとして異動を言い渡された。当時、赤字店舗だった新所沢店を1年間でプラスに転換しなければ同店は撤退する意思決定がなされていた。

「社員になっていきなりの大仕事でしたから不安もありました。でも、お世話になった上司から『所沢からジョイフィットがなくなると、社員もアルバイトもお客様もみんな困る。それだけの責任ある役割を担うのがお前なんだ』と背中を押され、やる気満々で仙台から所沢へ異動しました」

しかし、室田は初月から大きな壁にぶち当たる。室田に課せられた最初の課題は「現状の組織体制から変化のためにスタッフを調整させること」だった。いきなり異動してきた社員が人間関係のできていない店舗で人を調整させなければいけない......その拒否反応に悩み、行動できなくなった室田は、上司へ「彼らには生活もあるし、職を失わせたくありません。だから私にはできません」と告げてしまう。頭を下げる室田に上司は「お前には人を幸せにできないな。俺が代わりにやればいいんだな?」と声をかける。その言葉に室田はハッとする。すぐに顔を上げ「いえ、私がやります」と答えていた。

「上司の言葉は『優しさだけでは経営はできない、会社をいい方向に向けるためにはやるべきことがある』ということを私に教えてくれました。自分のすべきことをわからせてもらい、奮い立たせてもらえた貴重な言葉でした」

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東日本大震災の影響による
計画停電。
電力を失った
フィットネスクラブに
何ができるか?

2月中にスタッフの調整を行い、新所沢店は新たなスタートを切ることになった。しかしその矢先、日本全土を揺るがす事態が起きる。3月11日、東日本大震災。所沢にも震度5強の揺れが起きた。床が抜けるような振動でスタジオの扉がバタバタと打ちつけた。お客様の安全確保、施設の安全点検も進める中、ランニングマシンのテレビを点けると津波が押し寄せる映像が流れていた。

直接の震源地ではなかったとはいえ、新所沢店にもその後の間接的な震災の影響が及んだ。計画停電による運営の制限である。フィットネスクラブはとにかく電気をよく使う。照明はもちろん、ランニングマシンなどの電動機械はすべて電気が動力だ。赤字店舗を黒字店舗にするにするプロジェクトでは、計画停電は大きな足枷となった。

「電力供給に制限がかかったことで運営できる日とできない日ができ、その度にお客様に事情を説明する日々が続きました。『あたり前に開いている』という日常が"非日常"になって戸惑うお客様も多く、心が痛かったです」

そんな中で室田は考えた。「私たちにできることはないか?」。アイデアのきっかけになったのは、母体である親会社が石油というインフラ事業をしていたことだった。「その地域のインフラになること」をインストールされていた室田は、インストラクターだった自身の経験を振り返り、スポーツ事業でも所沢エリアのインフラとして貢献できるアイデアを絞り出す。

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インストラクター人生を
閉ざすほどのケガは、
「自分を大切にすること」を
教えてくれる出来事だった。

ここで少し室田自身について振り返ってみる。室田は大学卒業後、4年間で数多くのアルバイトをする日々を送った。その中で「健康の重要性」を強く認識し、26歳でジョイフィット篠路(現ジョイフィット札幌北)にアルバイトとして入社する。

そして半年後、仙台泉店がオープンする情報を得た室田はステップアップを希望し、仙台に引っ越した上で仙台泉店のオープニングアルバイト募集に応募した。仙台泉店時代はインストラクターとして毎日レッスンを実施。「自分は無敵だ」という強い自信でお客様のためにバリバリ働く日々を送った。

しかし、そんな室田を悲劇が襲う。ある夜、立ち上がれないくらいに下半身が痺れるようになり、トイレに行くこともままならなくなったのだ。やがて右手が痺れてペンも持てなくなるくらいになると、いよいよ自分の体に起きている"異常事態"に病院へ駆け込むこととなる。

診断は「頸椎ヘルニア」。寝る間も惜しんで働き詰めだった日々のツケが一気に回ってきたのだ。室田は緊急入院となり、4ヶ月の入院生活を余儀なくされ、医師からは「もうインストラクターの仕事はできない」と宣告された。

「当時は完全に絶望していました。どん底の中で会社も辞めようと思っていました。そんなとき、お見舞いに来てくれた当時の上司からいただいた『今回のことで体を動かす上で一番大切なこと、忘れちゃいけないことを経験したよな? 今度はそれを伝える側として、お客様にできることがあるんじゃないか?』という言葉で立ち直ることができました」

「一番大切なのは体を労わること」。お客様のために新しく生きる目標をもらった室田は、そこから社員登用試験に合格。サブマネージャーとして新所沢店に異動となり、再生プロジェクトに参加することになる。

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常識外れの営業スタイルと新しい
会員区分を設けて黒字に転換。
最優秀店舗賞とMVPを獲得する。

所沢エリアのインフラになるために、室田はチームメンバーの経験と知識を総動員して新所沢店を営業させた。照明がないなら懐中電灯をぶら下げてでも灯りを確保すればいい。ランニングマシンは無理でも電力を使用しないフィットネスバイクであれば使用可能。ラジカセで音楽をかければエアロビクスができる。

電力を必要以上に使わないよう蛍光灯の数を減らす、エアコンを極力使わないようにする(お客様に事情を説明しながら団扇を渡す)などのエコの視点で節約をした上で、電気を使わなくてもできるフィットネスを考案し、安全を確保しながらお客様を集め、営業を継続した。そんなことをしている店舗はジョイフィットだけだった。

さらに集客にも力を入れた。それまでの会員制度は「個人」「ペア」の区分があったが、そこに「家族会員」の区分を設け、会員を増やした。「家族会員」はその後、会社側に新プランとして採用され、他事業でも水平展開されることになる。

そして、1年の月日が流れた。結果は赤字を解消し、さらにプラスで着地。見事目標を達成した新所沢店はグループ全体の最優秀店舗賞を獲得し、室田もMVPに選ばれた。

新所沢店での1年間のあと、室田はジョイフィット24(赤ジョイ)の出店加速、名古屋エリアの新規開拓、ヨガ店5店舗のM&A事業にそれぞれ数年の歳月を費やす。オーナーとの折衝や業者とのやり取り、人材採用など、必要があれば自分が率先して動き、部署の垣根を超えた仕事をウェルネスフロンティアで続けてきた。そして数々の成功と失敗を経験し、2022年よりヤマウチのメンバーとして働いている。そんな彼の今後の展望はどのようなものだろうか?

「ヤマウチに異動してきてまだ日が浅いですが、私にとって大前提は経営理念・事業理念の実現です。『日本を健康に。』。このビジョンを実現するためにも目の前のお客様と真摯に向き合い、その熱を周囲に伝播させていきます。そして、全国のジョイフィットの垣根を越えて、みんなが成し遂げたいことを成し遂げられる組織を作っていきたいと思っています」

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